鳥取県議会 2023-02-01 令和5年2月定例会暫定版(3/2 一般質問) 本文
最近も、鳥取県中部地震がありまして、非常に厳しい経験を、それぞればらばらではありますが、商工会の方とか、あるいは農業会の方とか、それから、住民の皆さん、それぞれに経験をしたわけでありますが、そういう中で、では、もう一度昔と変わらない明るい地域を取り戻そうといって、中部一帯で頑張ったからこそ、その後に生まれた今の成長力なり、あるいは、活性化の力というのは多分生まれてきているのだろうと思うのですね。
最近も、鳥取県中部地震がありまして、非常に厳しい経験を、それぞればらばらではありますが、商工会の方とか、あるいは農業会の方とか、それから、住民の皆さん、それぞれに経験をしたわけでありますが、そういう中で、では、もう一度昔と変わらない明るい地域を取り戻そうといって、中部一帯で頑張ったからこそ、その後に生まれた今の成長力なり、あるいは、活性化の力というのは多分生まれてきているのだろうと思うのですね。
ここでは、国書刊行会から出版されている西垣繁一氏編の写真集から引用させていただきますと、 昭和二十年一月二十三日午後一時四十分ごろ、B29 爆撃機二編隊が西北方より飛来、稲沢町役場から稲沢操 車場を中心に二百五十ポンドエレクトン焼夷弾百二十八 発を投下、死者八名を出し、稲沢町農業会と民家八戸を 焼失。
農協は、食料不足のときに戦前の農業会を引き継いで発展したんだけれど、戦後70年間、食管制度や減反などと深くかかわっていたけれども、農家の米代金を安く集め、そして農林中金に上げて、農林中金は今や全世界で投資をする日本トップクラスの金融機関になっている。そして飼料メーカーと系統農協は、独占的な価格カルテルを結び、高価な肥料や農薬、農機具を農家に押しつけてきたではないか。
全国農業会からも「現場の実態を無視した理解しがたい決定である」という厳しい意見がそのときには出されましたが、まず、こちらの改革について、京都府の農林水産部としての意見と、この意見が出てきたものを受けて、現状をどのように把握されているのかについてお聞かせいただけますでしょうか。
それで、できたら市町というふうな形のものではなしに、県の教育会なり、農業会なり、ここは連携をとって負担をしていただいて、やはり学校のことだから足並みそろえてやってもらいたいなと。
次に、開催者や出されている意見ですけれども、開催者につきましては、ホームページを見て申し込んだ方々やNPO、ボランティア団体、商工会、農業会、中には市町村議員の主催もございました。今年は特に東毛地域でのトークを重視して、板倉町には知事にも参加をしていただいたところです。私は東毛地域に行きまして、大変勉強になりました。
北村知事の前の岡田知事は、終戦後初の民選知事第1号で、県農業会会長からの転身でありました。祖父岩村時次郎も、北蒲原郡農業会で農業技術員を長く務め、昭和30年より県議会にお世話になったものであります。技術員時代は、養蚕やモチ米、ブドウなどの水稲や園芸作物の品種改良、技術の普及に北蒲原じゅうを駆けめぐっておりました。
昭和二十年に、三年制の全国農業会高等農事講習所として設立されまして、昭和二十三年に財団法人農民教育協会に事業を引き継ぎ、昭和二十六年に鯉淵学園と名称を変更されました。昭和六十年には一年制の普及専攻科が新設され、平成七年に三年制の本科と統合再編を行い、先ほど申し上げましたように本科四年制となりまして、その際、学科名を農業経営科学科と生活栄養科学科に改めました。
戦時下の農業会にかわるものとして、戦後間もない昭和二十二年に農協が発足しておりまして、ちょうど半世紀を経過しておりますが、今こそ、これからこそ、やっぱり厳しい中で、農家、組合員のための農協、こういう原点に立ち返って、合併農協の運営に当たっていく必要があると思います。
我々の商工会の生い立ちは古く、明治14年太政官布により商工諮問規則が公布され、さらに明治16年に太政官布達で区町村に農業会、商業会、工業会、あるいはこれを合わせた勧業会が設立されてまいりました。戦後は、昭和24年に中小企業等協同組合法が、昭和28年には商工会議所法が、さらに昭和32年に中小企業団体法が公布になりました。
そうしてまた、先ほども申しましたように、そうした会合におきまして、いわゆる自治体の六者団体、それから全国の農業協同組合、農業会、共済組合等々、農業団体の全部が集まって、決して大賛成ではないけれども、不満ではあるけれども、いまの情勢においてはやむを得ないからこれをやろう、こういうぐあいにきまったわけです。
農民を殺すようなこのような農業会に対して、新潟県は1,350万という補助金を与えておる。このような人殺しをやるような委員会に対しては、一銭もやるべきではない。このことについては、やはり県の農業会議の直接の指導担当責任者であるところの農林部長としては、一体どのように考えているのか、指導はどうしているのか。もし、この流動化が徹底化していくならば、新潟県の農業は完全に破壊をされる。
戦時中統合された農業会は1町村1つでありますから、農業会が適当な場所であればそこに普及員が駐在する、役場が適当位置であればそこに駐在するということで、緑の自転車でたんぼをぐるぐる回って、全部指導してくれたわけです。それが中規模のものになり、今日のようになっております。いろいろ不平もございます。しかし、さらにこれを大きくすることによって、農民の接点は小さくなるわけであります。
都民共済生活協同組合 111 東京共済生活協同組合 112 東京都菓子協同組合連合会 113 日本ハム、ソーセージ工業協同組合 114 米穀売渡推進協議会 115 東京都経済農莱協同組合連合会 116 東京都農業協同組合中央会(特殊法人) 117 東京都農業会館(財団法人) 118 立川市農業協同組合(特殊法人) 119 瑞穂町農業協同組合 120 東京都農業会譲
それで、いろいろと思い起こすのでございますが、今年農協あるいは農業会の方々が希望されて、決議されているのが150キロ当たり2万1,063円でございます。 これは周到な計算の基礎をもって一応なされた御要求でございますから、ひとつその点にマッチするようにぜひ決定になってくれればいい、かように思っております。
の話もさることながら、やはり石巻の釜工業港というものは、もともと地元の振興という観点から、これは取り上げた問題であり、したがつて地元の方々が、十分この問題を理解することによつて、そうしてまた、その了解の上に立つて、初めてこの問題が解決もされ、また今後建設をしても、初めて地元の人に喜ばれることになるのじやないかと、こういうような観点から、石巻の市長を中心にいたしまして、商工会議所の会頭ほか、あるいは農業会
もっと例を申し上げれば、この県庁が今の農業会の跡にあったころ、私は当時一介の若い船長でしたが、(笑声)選挙が始まると――佐渡の人がいたら、ちょっと耳をつんぼにしておいてもらいたいが、あのころ北昤吉さんが立憲民政党、山本悌二郎さんが政友会、そして政友会が来るとあの佐渡汽船を全部買い切っちゃって、北昤吉さんを船に乗せない。それで北昤吉さんが僕のところに来て、銭を2円もらって乗せてやったことがある。
もう農民は、どうにもならない姿になっているが、これは別として、こんなことは繰り返しておられないが、ここで15地区の昭和36年度の農業構造改善事業計画地域実地調査表、これは県と私どもの農業会の方で現地を見て回って作ったものですが、この調査の概要を見ると、相当畜産に力を入れようという方向を示している。しかし権でも八でも、みな今豚を飼った。
わが役場の楼上におきまして、業者の方と、消費者の代表である病院の方々、あるいは農業会─今の協同組合の前身である農業会の生産組合の方々と出荷計画を協議したのが、一番の始まりでございます。そのとき私から両者の紹介をした中で、富沢氏は開口一番こういうことをいったのであります。「私は四月に都議会議員に立候補しまして、みごとに落選した、自民党の富沢です。」